2012年のダーティハリー

久々に『ダーティハリー』を観た。

GTAやRDR、L.A.Noire等の作品を通過した今の目で観ると、『ダーティハリー』はオープンワールド、所謂箱庭ゲーだったんだなぁとつくづく思う。

オープンワールド(箱庭ゲー)の辞書的な定義はwikipedia先生やらなんやらに任せるとして、個人的な見解を言わせてもらえば、「その世界(街・都市)そのものの魅力が作品の主要な要素であるもの」「その世界(街・都市)が主人公であるもの」であると思う。
この手の作品における「主人公」、ストーリー上の「主人公」は、真の「主人公」たるその世界の魅力をプレイヤーに伝える為の感覚器官でしかない。

ということは、『ダーティハリー』の主役は、クリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハンではなく、サンフランシスコの街そのものである。
実際、その「主役」の魅力を存分に伝えようと製作者たちはあらゆる手を尽くす。

犯人のスコルピオが屋上からの狙撃者であるが故に、ヘリによる空撮が行われ街を俯瞰で捕らえる一方、階段を降り地下へ潜って薄暗く怪しげな空間を描き出す。ハリーは夜となく昼となく街を駆け回る。
あらゆる時間、角度からサンフランシスコの街を描き出すことにこの映画の全ては捧げられているのである。

 

大怪我をして刑事を辞めた相棒のチコ。彼を見舞ったハリーとチコの奥さんの会話は象徴的だ。

ハリー「やめて当然だ。君達には向かない」
チコの奥さん「あなたは何故やめないの?」
ハリー「わからない。本当に。(I don't kow. I really don't.)」

サンフランシスコの街の魅力・空気を、鑑賞者に伝える為の感覚器官たる役目に、我知らず従事させられているハリー・キャラハン。彼にその理由が分らないのはもっともなことである。

 

 

 

ダーティハリー [Blu-ray]

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