桐島、部活やめるってよ

群像劇は最低限、それなりに込み入ったプロットを作り上げる必要があるため、見れるものになる場合が多い。安直に感性、センス、現場の空気といったものに逃げて思考を停止させるのではなく、ちゃんと考えることをある程度まで強いる形式だからである。

では、この『桐島、部活やめるってよ』という作品はどうかといえば、大変残念でしたと言うしかない。群像劇の醍醐味は、ひとつの事件・場所を核として普段交わらない人と人との線がクロスする際に起こる「何か」であり、それが同時多発的に発生することによってもたらされる「うねり」である。その「何か」を見るために、「うねり」に身を任せるために人は群像劇を観るのだが、この作品にはそれが何も無い。

翻って、その何も無さこそがこの作品の魅力なのであると強弁する人達がいるかもしれないが、そうであれば、何も無いものを見せるに足る作品にするだけの強度を持った要素を提示していただきたい。

 

ところで、この2010年代に若者たちの支持を集めた(らしい)作品から漂う異様な昭和臭はなんだろうか?高校生なんてものはいつの時代もたいして変わらないものだからか?それとも女子生徒を演じた俳優達の顔か?まぁ、いいけど。