「かぐや姫の物語」を観てきた

高畑勲監督「かぐや姫の物語」を観てきた。結論から言うと駄目である。あの恐ろしく出来のいい予告編を10とすれば、せいぜい4ぐらいかなといったところ。

素人目にも大変な労作とわかる画ではある。その動きを褒めなければ美的不感症呼ばわりされそうな気がしなくもないが、137分通して見せられるとただただ苦痛である。筆致は素晴らしいのだが、その他全てのものがそれを台無しにしてしまっているようだ。

予告編で私の心をわしづかみにした、かぐや姫が衣を脱ぎ捨てながら屋敷を飛び出し、月夜の都大路を走っていくシーン。お祝いの席に集まった男たちの、侮辱的な言葉を聞いてしまったからではあるのだが、これもなんだかなぁである。もちろん現実では、たまりたまったフラストレーションが、本人すら意外に思ってしまうほどのささいなことで爆発してしまうことがある。この映画でも、このシーンに到るまで、十分に姫の欲求不満は描かれていたといえる。しかし、それはそれ。現実でありうることをそのままフィクションに導入しても上手くいくとは限らない。これはその好例であろう。「え?こんなことで?」と驚く私を置き去りにして、姫は走り去ったのだった。せっかくのハイライトが台無しである。

もう一つのハイライトといえるラストのお迎えのシーン。出し抜けに白痴的なまでにおめでたい音楽が流れて、月の住人たちが雲に乗ってパレードしてくる様には、流石に反応せざるを得ない。聖衆来迎図をアニメーションで動かしてみたかったという気持ちが、ひしひしと伝わってくる。が、これもまた、ちょっと足りないんじゃないか、もっとできたんじゃないかと思ってしまう。動かずとも動きを感じさせる知恩院の来迎図のほうがよっぽどインパクトがある。

さて、最後にいうのもなんですが、高畑勲作品はどうにも苦手である。どうしようもなく「気持ち悪く」感じてしまう何かがあって、繰り返し観るのを敬遠してきた。その「気持ち悪さ」がどこから来るのか知りたくもあったのだが、そんなことの探求は気が進まないものである。そんな状態でずっときていた中、「かぐや姫の物語」のすばらしい予告編を観て、今回こそはこの得体の知れない気持ち悪さが反転して、昇華されるのではないかと期待していた。結果として、今までと同じ高畑勲的気持ち悪さと再開することになり、今回もまた気持ち悪さの謎を究明する気にはなれないのでした。

 

 

圧縮して30~45分ぐらいにすれば傑作になったんじゃないかという気はする。