『パットン大戦車軍団』

ミリタリー関係に疎い自分にとっては、第二次世界大戦の将軍といえば、ロンメル、モントゴメリー、パットンぐらいだ(日本のぞく)。この中ではロンメルの評価が頭抜けていて、なんというか孔明的な立ち位置っぽい。一方、対する連合国軍側の2人のイメージは、俗物で、足の引っ張り合いばかりしているといったもの。これらのイメージが何から醸造されたのか、正しいのか正しくないのかはわからないけど。

さて、『パットン大戦車軍団』(Patton)である。赤、白、青の星条旗が画面を覆いつくし、鮮やかに輝いている。そこに完璧な軍装に身を包んだパットンが登場し、彼の特徴である汚い言葉を交えつつ、戦意高揚の演説をぶつ。完璧な主人公紹介であり、素晴らしい導入である。我々はこう思う。こんな男は決して上司にしたくないし、親兄弟はもちろん、親戚のおじさんとしても、友人としても御免である。その影響力が及ぶ範囲からは速やかに遠ざかりたいタイプの人間。だがしかし、この男が何をしでかすのかは大いに興味がある。

猪突猛進系馬鹿将軍。一言で言えばそうなるのかもしれないが、勿論そう単純な人物造形ではない。戦史に通じ、戦跡を訪ねて過去に思いを馳せ、詩を詠む。しかし、「過去のあらゆる戦場にいた」という彼の言は、冗談でも詩的表現でもない。パットンは本当にそう思っているのだ。そんな妄想を育んでしまうほどの戦争好き。味方部隊が壊滅し、死体が転がる中を歩きながら、「戦場が大好きだ!」と言い放ってしまう男。間違いなく、英雄タイプの人間である。

そんなパットンは、劇中で「時代遅れの戦争屋」と評される。機関銃の導入から原爆に到る兵器の発展と規模の拡大により、戦争は英雄の活躍の場ではなく、大きな破壊、殺戮、痛み、悲しみが混淆した場と変容をとげた。もはやパットンのような男の居場所は無い。

アレクサンドロスハンニバルカエサルやナポレオンとともに戦場を駆ける将軍が第二次世界大戦を戦ったらどうなるか。これはそんな映画である。

ちなみに、空の青や山の緑などの色彩が異常に鮮やかで、風景がいちいち美しい。映像的にも現在の戦争映画に引けを取らない、というか大体上回っていると思うので、観るならBlu-rayがおすすめ。言うまでも無く音楽も素晴らしい。